aosjmi.net

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どう公開したもんかと悩んでいたが、放棄した。(コメンタリーもあるよ

整形しません


    何が言いたい?
        openBSD7.5をインストールし、今後は常用します。
            少なくとも三年は
    そうなんだ
        GUIの無意味な視覚化やjavascriptがないと動かないサイトに辟易し、さらにオーバーキルなプログラミングで脳に霧がかかり、塵も積もって鬱病が悪化するため、シンプルなUNIXを学習して内面化すると決めました。
            というのも、単純に好みを変える以上に、私の技術不足知識不足が原因でPC内の一挙手一投足に些細なラグが生じて、それに引っかかりを感じていました。
            Image from Gyazo
            無知無能故に鬱が加速するのは良くないし、死ぬまでPCを触り続けるつもりでいるから、この機械をただの入出力の窓口にしておくのは勿体ない。
            道具を扱う私が没頭できて、合意できる哲学を背景に思考することは、その他の醜悪な動作と比較して癒やしになります。
            レイヤーの低いことを学ぶために、虎穴に入らずんばなんとやら
            御託おわり
    したこと
        激闘の末に河豚板(fuguita)をインストールしました。
            linuxの経験すら皆無なので、インストールには手間を取りました。
            チュートリアルを進めた。
                https://fuguita.org/?河豚板ガイド
                    https://fuguita.org/?河豚板ガイド/1-準備編
                    https://fuguita.org/?河豚板ガイド/2-入門編
    躓いたポイント
        https://fuguita.org/?河豚板
        このページに従えば、順当にISOイメージをダウンロードできて、
            私の場合はrufusでusbに焼いて?、
                セキュアブートをオフにして、
                    起動順位でUSBを優先すれば、
        無事、fuguitaを起動できました。
        その過程に、「i386」「arm64」「amd64」のISOファイルを選ぶ必要があり、それらは導入するパソコンのCPUに対応するらしい。

            導入したCPUはintelだったので「i386」のISOファイルを選んだのですが、起動の際に認識されず、結果的には、「amd64」のISOファイルを使うと正常に認識されました。

        どの認識がどのように間違っていてるのか、私には分かりません。
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        ダウンロードする場所も前提知識がないと慣れない雰囲気の場所に置かれている。
    claude opt先輩に聞いてみた
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        要約すると
            intelとAMDの64ビットCPUは、ほぼ同じ命令セットを使用しているため、互換性がある。
            そのため、“amd64“のISOファイルはintel製の64ビットCPUでも問題なく動作します。
            現在のintel製CPUは64ビットアーキテクチャを採用しているため、“i386“のISOファイルでは正常に認識されない。
            “i386“は、32ビットアーキテクチャを指す言葉
            “amd64“という名称は歴史的な理由によるものであり、実際にはintelの64ビットCPUにも適用される汎用的な名称となっている。
            以上により、intel製CPUであっても、“amd64“のISOファイルを使用することで正常に動作する。
        どうやら大まかに正しいらしい。
            i386 or amd64
        テキストのLLMはAIというより新しい検索機能で便利です。

    黄昏の世紀滅べよ日本の わけのわからぬ世紀よ滅べ 武川忠一『翔影』

    好きな短歌です
    TL;DR
        生活とパソコンくんをしてました。
    この一ヶ月でやったことを思い出せる限り書きます。
        twitterを復活させた
            私がヒスを起こさないことに、私自身が確約すれば、SNSの心理的な障壁が完璧に解決すると自覚してアカウントを復活させました。
                別に活動的になるわけではない。
                    大事に捉えなくていいや、と正気になった。
        telegramを入れた
            Image from Gyazo
            セキュリティと自由を兼ね備えたSNS
            画面共有以外はdiscordよりも優れている。twitterと他の新興SNSの関係同様に、人口の多さによる活気の問題はある。
            何が素晴らしいって、「データの添付に上限がない」ということだ
            流出していい情報なら無限にアップロードできるクラウドストレージサービスになっている。これは内密にな。
            一つのファイルに2GBの上限はあります。しかし分割すれば際限なくアップロード可能
            その他の要素も素晴らしく、キモいGIFスタンプも愛せるようになります。運営の思想が強い点も素晴らしい。刀鍛冶は刀に哲学がないといけない。
                私のチャンネル
        anilistを始めた
            Image from Gyazo
            アニメリストというweeb御用達のサイト群がある。その中でも比較的新しいサイトに投稿してみた。漫画にも対応してる(エロアニメも笑
            これが現状の好きなキャラリスト
                Image from Gyazo
                😓
            メリット
                何を見たか記録できる
                    私は記憶が弱いため、重宝します。
                娯楽に費やす時間を可視化される
                ウェブサイトが使いやすい
                マイナーな作品の感想があるかも
                我が殿堂であるゲーム部の感想を発見しホクホクです。高評価だよな?高評価でした。
                日本では語られない名作を見つけられる
                「ヨコハマ買い出し紀行」は海外ではかなり人気らしく読んだ。面白かったが、何が超が付くほど人気なのかは理解できなかった。ローファイミュージックのパッケージデザインとして勝手に使われたとかかな?
            デメリット
                割れ厨が普通にいる。
                私は特に気になりませんでした。日本人を内面化させている私はルール遵守と美意識を合致させすぎていると気付かされた。というかオフィシャルの公開に一ヶ月もラグがあるなら、私も違法サイトで絶対に見るから、彼らを責められません。英語や中国語以外の言葉を気にしたことがあるだろうか?彼らの体験は割れだから嘘になるのか?日本で生まれた私には文化の違いで分からない。
                実は最近の情勢は逆転していて「日本の方がアニメの視聴において損をしてる」のが現実だ。
                日本以外の人にとってアニメはyoutubeで無料で見られる場合がある。それも公式が金を稼ぐために日本だけ視聴を禁止しての配信だ。まあVPNで国を変更することで解決できて、昨日は水星の魔女をノルウェーの回線で、無料で見た。カカオを作っているのにチョコが食べられないみたいな話を思い出す。アニメは作ってないけど、私は日本の醜いオタクだぞ。
        kinenote入れた
            やめた
            映画界隈の醸し出す老害臭が凄い。あごひげを生やした政治色がある。サイトに登録しただけで、それがヒシヒシと伝わってきた。ノンポリが良いなんてことはない。
        last.fmを始めた
            まだ使いこなさせてないが、ディグるのに良さそう。
        win11からatlasOSに変更した
            image
            エッジが効いてるカスタムwindowsOSだ。
            マニュアルに沿ってインストールすると、既存のデータを削除せずにwindowsの不必要な機能を削除してアップグレードできる。私の場合は、消せないデータが体感で100GBだったが20GBに削減した(80GB減)。嬉しい反面、すこし不安になった。
            しかし起動時間や処理速度は速くなって、UIも改善し、うまく削除できなかった機能を消し炭にできた。不具合も不便もありません。現状は最高だ。
            あくまで仕方なくwindowsを使うなら妥協としてAtlasOSといった品物らしい。無料。
        プログラミングを真面目にやりたくなった
            いきなりopenBSDをUSBでブートしました。
            linuxだとdevuanとnixが気になっています。こういう新しいことに手を出さないと腐るタチなので、面白さを感じる知識体系があることに感謝します。
            真面目というのはアセンブリやらc言語やgoなど(真面目とは何か)
                コンピュータサイエンスかな。
            まずUNIX周辺を学習する。
                ソフトウェア関連の純粋な哲学を見ると癒やしを感じます。体現するまで気が遠くなるが。
            最終的な目標は個人サイトのセルフホスト
        ブラウザをクロームからfirefoxに変えた
            Image from Gyazo
            ケモナー
            動作が軽くなった。
        firefoxからlibrewolfに変えた
            Image from Gyazo
            超ケモナー
            librewolfとはfirefoxのセキュリティ強化バージョンです。他にも国産のfloopというのあります。悪い癖で古い方を選択しました。
            といってもfirefoxと使い勝手は変わりませんし、クロームよりも確実に軽いです。変更があるとするなら、アドオンを入れるサイトと連携されていないから、手動で移動させる必要があるくらいでした。
            生では快適とは言えないので、初期設定やマストのアドオンは別記事にしましょう。
        岡野ゆきなが世界一かわいい
            Image from Gyazo
            okanoyukina.moeというドメインを取ろうか一瞬だけ迷った
            ファナティックになりそう。なった😍
                まだ可愛さを表現できない!
        サイトのデザインを変えた
            色覚異常でも分かるように明暗だけ意識して色を組んだ(実際はどうなんだろう)
        nekowebというサービスを発見
            「インターネットは猫のためにある」という理念を持つ新世代のneocitiesサービス、何もかもが素晴らしい。
            ギャラリーは必見です。
        らき☆すたを見た
            全編gifで見たことあって興奮しまくり、かがみんに対して物言えぬ欲情を噛み締めて、憤死、埋葬
            image
        音MADをまた見始めた
            しりりがdoxxingされて引退、自己矛盾が大作を作った辺りから追っていなかったが、最近は映像の技術が発達していて凄まじかった。
                そんなわけないじゃない - ニコニコ動画
                そんなことは野実も知らない - ニコニコ動画
                THREE - ニコニコ動画
                カフェラテ カフェモカ カプチーノ! - ニコニコ動画
                大切なお知らせ - ニコニコ動画
                Assault TRAIN - ニコニコ動画
            otogrooveは全編みてね
                今や音MAD作者しか音MADに興味ないらしい。
            月刊ボディーガードランキングはいつも最高だ。
                月刊ボディーガードランキング2月号 - ニコニコ動画
            もみあげプリン先生は音MADを体現していて凄い(下品)
                https://www.nicovideo.jp/watch/sm43199097
                https://www.nicovideo.jp/watch/sm43199085
                https://www.nicovideo.jp/watch/sm40090610
                https://www.nicovideo.jp/watch/sm37986769
                https://www.nicovideo.jp/watch/sm38136852
                好きなMADを挙げ出すと終わらないので、ここで終わり。
        私的ゲイ判定 ※ゲイは最上級の称賛です
            バーナード嬢曰く
                判定:ゲイ❤❤❤♡
            裏バイト:逃亡禁止
                判定:ゲイ❤❤❤❤
            終末トレインどこへいく?
                判定:ノーゲイ☠️
            ダンジョン飯
                判定:審議中
                鼻を魅力的に描いてる点が、本作特に優れている。
                トーデン兄弟→ホットゲイ❤❤❤❤❤
                    「兄弟愛が最高」とタトゥーを彫りたいね。
            ウィンドブレーカー
                判定:ノーゲイ☠️
                分厚い上着の外来語を、語感がかっこいいと思ったらしく、そのままタイトルになっているから笑えた。主人公はウインドブレイカーよりも薄い上着を着ている。
            ガールズバンドクライ
                判定:リトルゲイ❤
            旧態依然のヘテロラブに無意識に頷かなない作品のことをゲイと呼んでいる。次からは控える。
        名文を紹介する2
            以前はたそちゃんを紹介した。
            そして今回は、偶然に似た主張をしてる記事を見つけた。
                The Internet is self referential
            タイトルは「インターネットは自己参照」
            要約すると、以前は現実で起きたことをネットに投稿する営みだったはずが、今ではインターネットで起きたことをインターネットで参照することで膨らんでいくことに虚しさを感じていて、ネットは現実に侵食されてしまったという内容だ。
            記事を書いた本人はグーグル検索にクロールされないように設定するほどのソーシャルメディア嫌いで好感が持てる。

    インターネットは現実ではなく、単に現実に基づいているという考え。物事はインターネットとは無関係に起こり、インターネットは単にそれを報道しているだけだという考え。(日本語訳)

    これは私も同じようにネットを捉えていて、なぜそう思い始めたのかは分からないが、インターネットは何かそう思わせる。
    私の世代は、現実と架空、アナログとデジタルを同居させての対比させる意識が強かったから、特に気になってしまうのではないだろうか。
        実際は対比は言葉だけで、現実は架空を内包して、架空は現実よりも大きくならず、醜悪なSNSがひとつあるだけだった。
        そもそも対比ほど近接した関係性はない。象と数学みたいな無関係な間よりも距離が近く、線対称な関係だ。

    インターネットは大好きだけど、もっと外に出る必要がある。(日本語訳)

    この言葉で記事は終わる。共感するし、共感というよりも私の考えと重なっている。
    最近になって自覚したことがある。私は自閉傾向のある人間がどちらかといえば前向き言葉を紡ぐことが好みなんだろうな、ということだ。
    というのも割と自己愛に根ざしていて、私もバチバチの自閉だし、同じ宗派の人間が同じ風景を見て、同じ感想持ったことが嬉しい。
        もぞくり先生のゲーム部が好きなのも、私が当たり前に思っていたゲームの在り方を言語化して、岡野ゆきながこの世で最も可愛いからだ。
    私が言うまでもないと考えていることが、こんなにも世界にとって希少なことなんだなと意外だった。
    そういうことで、最後に私が当たり前だと思っていることを共有して終わります

    ジジイババアがSNSで少しでも自我を持っている場合は、アカウントを消した方が良い。

    先ほど、twitterをしている40歳以上の人間を狙う殺人鬼を世界に解き放ちました。中年は危険ですので即刻SNSをやめてください。
        解決策は個人ブログもしくはフォーラムに自我を制限することのみです。
        もちろん私も例外では無くなる日には必ず自壊したい。

    厄介な自我は個人ブログに封印すべき

    醜悪な自我も個人ブログなら、フォーラムなら(比較的)安全に処理できると信じています。
    以上

1

    「構造に意味が引き出されているな」と日記、SNS、鍵の付いたブログ、さらに対話まで、ふとした瞬間に思う。

    生きていて、内発的に意味が生じて周囲に伝えたい、それ自体は人間的で自然なことだが「どのように伝えるのか?」
        意味とは関係なく、手段は宙吊りになっている。

    対話であるなら、対話のフローの中で思わぬ意味を発見して口走ってしまうだろうし、相槌や相手の態度と相成ることで、伝えたかった意味では留まらず、構造に意味が引き出される。当然、そこで言ったことは周囲にとってあなたの主義主張だと認識される。

    SMSのようなソーシャルメディアのプロセスも、意味を書き込み、送信ボタンを押して公開されるフローを当然のように踏んでいる。そこに疑問が持てない。
        送信ボタンを押す必要があったのか?
        意味をテキストエリアに書き込む必要があったのか?
        内発的な意味に執着する必要があったのか?

    さらに踏み込んで、内言と発話の意味的な違いは何だろうか?内言とは、脳内で言語的なイメージをすること

    私の体感で言えば、何かが違ってくる。短文なら同じかもしれないが、長く話せば話すほどに内容が変わってくる。資本主義者が共産主義者に変わることはないが、100文字話した最中の逐次的な意思決定が、声帯や脳内のモジュールによって少し変わってくる。それは文章構成だったり、語彙の接続だったり、同じ意味から始まってもモジュールが変わることで同一ではいられない物理的な理由によってだ。

    この変質した意味が事実を基にすれば良かったのだが、言葉にするまで曖昧な内面を言い表すなら、内言と発話した自我の意味は同様に居られるのだろうか?

    ヒトの脳では内発的な概念が連続体として絶えず生まれ、外部の刺激によってモアレのように形を変えては消えを繰り返しているわけだが(いや静寂でも蠢き続ける)、それらを切り出して意味を見出し、物質界と相互的に執着することで一貫した自我(お前)を作り出してる。

    「意味を見出し、それを表現する」という行為に人間は呪われている。

    発話なら、意味を言語処理として声帯で表現する。内言なら、脳内で言い表す。SNSならキーボードで書き込んで始めて言葉になった意味を、送信ボタンで表現する。ムカついたらぶん殴る。

    脳内のtanasinnでカオスの傾向を切り取り、意味を見出して、処理して、外側へ表現する。この繰り返し

    日記も、思考の速度に対して書く速度が遅すぎる。暇になると私には表すことが不思議でたまらなくなる。構造を固定して意味を考えることが私には茶番めいてくるからSNSも毎回長く続かない。

    そうしてgithubへコミットする。謎は深まるばかり。

    完

2

    親族の男衆は「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えないので滅んだ。言いたくないとかではなく、言えなかったというニュアンスだ。
        言えないことが問題ではなく、それ以外は頑張ってるのに、そこだけできないから破滅したことを理解できないようで無常だった。
        そして内心では感謝もしてるし、申し訳無さもあると理解してる。いつもジジイは面倒だ。

    割と自分の中にもその血脈は感じいて、先人を踏まえ、そういうシチュエーションでは強迫的に言っている。

    そう我ら一族は「ありがとう」「ごめんなさい」が言えるクズに進化したのだ。素晴らしい。
        依然としてウチソト意識は強いから、これはウチの話で、ソトは砂漠で干からびても良い。それを許容して生きている。

    意味もなくすれば、物事が円滑に進むのに、頑なに自我をやってる人がいると怠い。

    もっと簡単に的確に嘘を付けるようになりたい。

    本当の気持ちは存在せず、状況判断に基づき、その場に全身全霊でコミットして良いと思える損得勘定を醸成することが重要だ。
        感情で感謝したり、謝罪してる人達のせいで不必要な時間を食われる。怒

    感情的に感謝したから、感謝するのではなくて、状況から鑑みて、感謝すべきなら感謝してなくてもすべきなんだ。謝罪も同様。
        繰り返すがこれはウチソトのウチの話だ。

    私は反省も感謝もしたことはないが、客観的に感謝すべき状況では心から感謝するし、謝罪する。場のポジティブな循環と物事の円滑な進行のために。

    感謝すべき時に感謝できる状況判断が感謝と謝罪の本体ではないかと思う。
        感謝したい気持ちとか申し訳なくていっぱいだ!みたいなのはもううんざりしている。黄昏な気分にさせないで欲しいと説に訴える。

    不形の通貨のやり取りを確かにしている。
        無償で与えられた通貨と無自覚に失わせた通貨の存在を認めることが、ウチ仕草だと思う。
        ソト仕草はその通貨を認めなければいい。vrchatみたいに、お互いに認めれば存在し、認めなければ存在しない。
            私はウチソトの概念は積極的に認めていて、人の両手では数人しか囲えないため、仕方ないと思う。ソトであることを強調することはしませんが…

    とにかく「感謝,謝罪すべき人には感謝し、快不快で感謝,謝罪するな」ということかな。
        感謝と謝罪は手続きなので似てる。
        エーリヒ・フロムが愛は所作であるみたいなこと唱えてから、社会通念にうじゃうじゃと無自覚な似非『The Art of Loving』が波及してて気が狂う。
            『嫌われる勇気』の話を真に受けすぎてるみたいで嫌な感じだ。西洋哲学を勉強してると宗教について言ってるだけなのに、愛だの善だの言ってきて本当にイライラする。
            百年後の人のために「宗教について話してる」と文頭に書いて欲しい。いや書いているようなものか。

    話を戻しまして、皆様改めまして、ありがとう、そして、ごめんなさい。

    Image from Gyazo
        wikipediaのエーリッヒ・フロムの関連項目
        こういう人間になりたい。

3.フォールアウトのドラマを見た

    頭お花畑のボルト女が過酷な地上に適応して、レイダーより力強い人格に生まれ変わるという王道のストーリーで面白かった。
    ただフォールアウト世界で器用に生きる人物を描いた皮肉めいた内容を最初は期待してたから少し残念だった。
        もっと人間のことをバカにしてほしかった。まだやれる。

4

    gitと執筆の相性が良いので、githubでブログを管理するのはかなり理想に近いと自覚した。
    SNSの投稿を編集できることの上位互換だ。
    こういうピュアな機能を感じると癒やされる。コンピューター様に感謝。

    最近、魚になりたいと思う。
    ネットにひたすらよくわからないモノを公開してるしているのも、鑑賞者と魚の関係において、魚を選ぶからだ。
    有産無産という言葉があるけど、産むことには興味がなくて、ずっと魚でいたいから何かを作る動機がある。
    そして、鑑賞者としてのスタンスを取らない。過去の記事も魚でないことを忌避していた。

主観は一人称だから、無産は存在しません。パンを与えれば腹は満たされ、引き金を引けば死ぬ。お前は常に現実改変能力を持つ。そして、無産と有産の分断はプラットフォームと対面した副作用なみたいなものだ(ある意味でweb2.0の本質とも言える)。なぜならネットとは本質的に「ファイルを置く人」と「ファイルを見る人」の二人しかいないし、その両方を同時に行うことができないからだ。ということをいいたいんだと思う。オレはファイルを置きたいんだーーーーー!ってこと


1.絵

    Image from Gyazo
    比と指の隙間に違和感あるけど、手が描けるようになってきた。手足は鬼門ですよね。
    前回の記事は経過的に思ってることを快楽的に書き出したから分かりにくいけど、練習によって1つの本質的な差分(目と線に限定した作画過程)が得られるのは「モチーフ(要素の束)の分解と再構築」という理念に気付いたためで、しかし何事も真理はすぐに分かるけど、解像度は極端に低い。なので今後も深く取り組みたい。
    イラストが難しいのは、形式化や暗記が図像を用いてしか言語化出来ない点が挙げられる。そしてその仲介となるオフィシャルな知識体系は存在せず、我流に落とし込む他ない。
    次に紙を滑るペンに制限が無さすぎる。何の抵抗もなくペンは青天井に滑り、不本意な線が視覚的な基準となってしまって、以後画面の設計は狂い続ける。
        しかしこれは利点で、想定通りに線を引けるなら、理想と同じ絵が描け、そこに障害は無いということだ。
        アニメ業界でAIが手描きよりも格落ちして一向に覆らないのは、結局手描きにこだわる理由がないのと同様にAIにこだわる理由もなく、同じ画面を作ってしまえば良いだけで、画面の解像度によって内包できる情報量に限界があるから、その範囲では全然優秀な人間の手描きの方が速くて小回りが利く。
            前から思ってたんだけど、AIで1兆✕1兆pixelの萌え絵を作りたい。グラボで地球が溶ける。巨大な画像生成に興味がある。
            そもそも二次元的な出力は極小の側面でしかないから、あらゆるテキスト入力とデータセットを統合したイラストマルチバースを先に存在させて、マイクラのクリエイティブモードみたいに文字移動したり、魅力的な可食部を視覚化してほしい。宇宙が溶ける。
            こういうのも量子コンピュータが出来たら実現できてしまえそうだし、セキュリティも含めて今は量子コンピュータができるまで待機する時代かもしれない。
            手描きとAIはクッキーとクッキーババアの関係で層が異なるから決して交わらないと思うし、手描きがUNIXなのは不変だからな。過程と道具はイコールじゃないということですか。
        話題も滑った
    Image from Gyazo
    イラストって自分の考えていることが先人に上書きされるトリガーが少ない。
    偉大な既存の作品が沈黙し続けている。そもそも読み取りと継承がテキストのみで学習できないから、基礎として各自の車輪の再発明を強要する姿勢が厳しい。なぜルネサンスが起きたのに萌え絵を描かなかったのか?
    で、この「額縁の立体に対してパースが平行だと芋っぽい印象を受ける(画面に対して少しでも不平行ならいい感じ)」という経験的な発見を嘲笑するクリティカルな知識体系はどうやら存在しないらしく、Dead Pan(正面性が強すぎて生気のない印象を与える構図状態)が近いのかな。物体的なコントラポスト以上に、画面(額縁)に対して不平行なのも求められると思った。上の画像がその実践
    不等分不平行で整合されたは画面はそのまま美に直結する(受け売り)を安直にやっている。
    絵で言えば、構図では非対称だけど、構造では対称的なアナトミーが分かりやすい美だ。
    さらに不思議なのは、3D素体をなぞっても結果的に微妙になる。「型を作って崩す」という道でよく言われるやつの肩でしか無いからだと思っていて、これは同時に勘パースより他に選択肢がなくなってしまったので、確信を得た一因です。
    画力も上手く描くというより、取り組めば取り組むほど時短できて、かつ感覚的に描けて楽だから延々と取り組む余地があるので終わりの無さが恐ろしい。放置ゲームで転生するか悩む期間に似ている。

立体の重要性

    「立体を意識する」と何百回言われてもピンとこなかったけど、一年前に画力アップチャンネルを見てから概念が合致して革新的衝撃を受けた。
    立体感ではなく立体であり、これを理解するには、この図を見れば一目瞭然だろう。
    例えば人体の比率は基本的に上肢と下肢で1:1、頭胴腰で3等分、脚足で2等分が大まかな比率なんだけど、それぞれの境界線に接触するのは何か考えたことはあるだろうか?
    私は以前まで、このように考えていた。
    Image from Gyazo
    しかし立体を考慮すると、こうなる(c.f.tenten云画画)
    Image from Gyazo
    要点はそれぞれの部位が傾斜していること、独自の接触面を持つこと、単純にブロックの長さではなく対角線の長さと設定されており、これを知らないと(この比を扱う分において)ミスリードになる罠だ。
    日本語圏で情報収集をしても、比における境界区面のどこに何があるのかという具体性が基本的に欠けているため、全く役に立たない。そして何を練習したとして、抽象的な比を丁寧に扱う限り違和にしか還元されない。日本disでは無く、中韓英の検索圏が相対的に具体性に優れている。
    微細な調整で印象が変わるため、こういった粒差な具体性が美的な整合性に繋がる場合が多く、比に具体性を求めれば、ブロックの対角線を表すようなパースの整合性が求められ、正確にチェックするすると時間がかかるし、堅い印象を受けるので、やはり論理と感覚が統合された勘パースによる「型と崩し」を鍛えるしか道は無い。
    立体が重要なことは重々承知だと思う。つまり立体でもなく、マジで立体だ。それも厳密さではなく、マジの空間と立体ということだ。立体感は論外。

絵的講座ホワイトリスト

    宮本託自の画力UPチャンネル
    wumingxuan520
    貴子
    tenten云画画
    迷之那啥
    加藤公太
    Human Structure Institute
    LiveUP@BornDigital
    日本語圏の死んだ絵的講座に抗うための信用リスト

    私はソーシャルメディアの完全な引退を約束します

引退の定義

    Aすべての個人アカウントの完全な停止
    Bインタラクション(投稿、コメント、いいね等)の一切の個人利用の停止
    C閲覧行為を含むすべての利用の停止

対象プラットフォーム

    SNS
        LINE以外の縦型動画
        SMS形式のSNS全般(分散SNSも含む)
        動画プラットフォーム

例外

    限定された娯楽以外の必要情報

使用可能

    チャットツール
    フォーラム
    ブログ

1

    ネットで約束をしたことが全くないが、これは実態と本意に整合してるので約束しても何も変化も苦もがない。
    以前から完全なSNSの遮断を目的に準備をしていたが、ちゃんと準備が整ったので、いつか辞めるなら即座に辞めた。
    SNSは辞めるのが難しい
        努力せず習慣化できること
        アンチSNSの文脈でデジタルデトックスをしても、SNSを由来に不毛なエネルギーが消耗されていることに変わりがない
        SNSだけを辞めても、二次的な影響力が大きいので、代替がSNSの使用と同義である。
    これらを加味して、SNSとSNSに関連するプラットフォームが生成する情報を認識しない

2 対策
制限的な対策をしない

    「自主的なフィルターを掛ける」みたいなことは行わない。それらは結局、自らとの約束を破るか否かであり、どのような施策も装飾にすぎない。
    私が脱SNSで何年も目指していたことは、共生ではなく解脱や克服、Xに心から意識興味手段を持たないことであるため、例えばXを開こうとするフローに立つことがすでにアンチパターンだ。

興味関心の移管と情報圏の再構築

    対策はこれ
    Xが本質的に辞められないのは、X中心で情報圏を作ったせいで、Xを辞めると全体のバイパスが消失して、今後期待される情報の生成もXを使った方がストレートにできると頭では理解しつつ、不本意な痩せ我慢を強いられるせいだ。(相互干渉を含めたメタクソ化した情報を、Xが包括しているため)
    私が行った対策はこれらに対するもので、つまりSNSを仲介しない情報圏へ興味関心を移管すればいい。テーマの変更ではなく、単純に情報の探索のアプローチを変える。ネットに限定しなくていもいい。
    その点、今年に普段使いをwindowsからarchlinuxへ移行したのは大正解だった。
    自分の場合は、linuxとDBサービスは享受的な行動として上書きされるもので、代替ではなく由来を一次的なものにしやすく、始めて良かった。
    とにかく、SNSに関心を持たない情報圏を再構築すれば解説できる。その過程で、このリンクをどのように見つけたかという由来をXに持つというのは、SNSに対する期待値を上げることに繋がるので避けたほうがいい。その期待値の塊がSNSをすることを最終的に内面的に肯定させられる。
    私も散々使っていたけど、客観的にはSNSは遮断した方がいいというのは真理だ。何か妥協を模索する心境に成っていることはSNSの依存性の範囲内で、書き込んで発信するだけと侮ることなかれ。

簡単にできる未来予知

    こう考え始めたのも、SNS依存状態からのスタートで、即時的な遮断が続くとはまず思っておらず、様々なアプローチを模索し続けた。耐久すら克服には届かず、興味関心の移管と情報圏の再構築という解脱が個人的な答えだった。
    私がこんなにもSNSを完全に辞めたがっているのは簡単な未来予知ができるからだ。
    Xアカウント保有者の未来は二面性が表出される末路となる。キャラを抽象化すると
        過度な没入層
        表面的な理性維持による自己欺瞞層
    前者は狂戦士化した反応者、後者は前者を反面教師にしているものの、結局は前者と同じSNSで時間を無駄にしている同類だ。両者は日々の使用にて習慣化を補強し、今後も時間を無駄にする期待値を上げる努力を勤勉に行う。ただ悪いとは思わない。最近思うのは、行為による時間は自動的に学習的な努力に還元され、回避することはできない。
    私はこのように言語化した以上は、止められるなら止めるし、いつか止めていい場合は、、
    この二面性は今後増え続けるX使用の数十年選手「Xネイティブ」が常識的に思考する側面であり、私は少なくともネイティブになる前にXを止めたかった。
    それにはXの使用を内面的に一切肯定しないようにしないといけない。行動で示すなら永続的なSNSの不使用だろう。代替も模索せず、ただ当然に考えていた物が間違っていたということだ。

悪癖の根源的無価値化
1「二次的」の認識
    「カウンターの無い物言わぬ創作者と自覚して行われる二次利用における無関係な自我の主張」で怒りを感じる傾向が強い。これもSNS的なのでついでにやめる。
    直近だと、indigo2氏のメンションにおいて表出した。
    色々書いて削除したが全て感情的な私の個人的な内的処理に過ぎず、要は無意味に波風を立てた私が悪い。
    法則性を思いつく限り書き出すと
        indigo2氏
            アーティスト本人へのつきまとい報告と大胆な絵柄の参考、その活動に関連して別のクリエイターを二次利用、米津のリリース前の楽曲を替え歌で公開するなどのイナゴ行為
        どうめき
            タイトルと歌詞を大胆にパクるも指摘されるまで沈黙していたバンド
        worldboxの好意的な荒らし管理人
            公認をもらいながら、中学生の妄想ノートを積極的に作っていた。
    などなど、こういった一方的な二次的な関連付けについての怒りを覚える自分がいて、しかしこのような関係性に対する評価について、私の認知が完全に狂っていた。もしくは単純に怒りを覚える機構がデメリットになるほど社会は複雑ということか。上記に書いたことは、別に何も悪くないし、単純に私が過去に怒りを覚えた条件を書いただけだけなので留意すること。
    当然は4つ
        こだわりは内発的動機による生成で産まれる
        視点はそれぞれに独立して孤独
            二次であるのは二次的な存在からの主体性であって、社交的意味付けと著作的関連が内包される相互の意味的関連を全く表さない。作品評価的には全く無関係で、それぞれが孤立してる。
        関係を強く信じるのはこだわりである
        私が無関係なテーマについて主張する必要がない
    こういった認識もSNSによって内面化されやすいので止めたほうがいい

2 トラウマの対処を口実にすること

    人間の気分の特性に「感情の先行性」があると思う。感情が揮発されて、後付で理由を探すというものだ。

    そして感情に理由を探さない状態を認めれば、自ずと気分の正体が掴めてくる。内的な刺激は物理的な因果関係とは常に分離されているため、内的な作用を意識するなら、認知的な因果関係はミスリードに近い。一般的に人は、自我であるなら私はこう苦しむだろうというエミュレーションを行って感情と理由をエコーチェンバーさせている自覚はなくて面白い。人は主体であるが、自我は付属的なものだ。

    理由があって感情的に成っている場合も、この理由にはこの感情を開放していいという日和見的な許可を自らに出しているだけだ。こういった自我的に許される自己表現において甘い人間は多いし、私も例外ではない。あらゆることが自己表現でなくていいという開放もSNSを止める手立てですね。

    感情によって誘発される後付の論理性に意味はない。

    次に「内部帰属と外部帰属」

    基本的に感受は内的帰属によるものだ。例えムチで打たれても、それは内的に転換された刺激を受け取ったにすぎない。刺激は常に感受機能によって内部に転換されているので、外部と指すものは常に内的に転換された刺激のことを指す。

    刺激(五感の伝達)とは内部に還元されていることが真理であるため、明らかに外部帰属だと思うようなことも、実際は感情であるなら内部帰属で私に全ての理由がある。

    つまり内的な動機を根本に持ち続けるならば、主因は常に内部帰属されるということだ。おれのせい

    「人のせい」という負の外部帰属に象徴される言葉を正当に扱いたい場合は、内的に還元された達成を拒み、あらゆることを外的に還元しなくてはいけない。

    誰かのせいで不快になったというのは、内的動機を外的帰属させているためであり、不快になった理由ではない。という層の違いがある。

ウェブは見るだけ

    インターネットでは画面に対して傍観とフィードバックを繰り返し、こだわり(強い内発的動機)を作って、無関係なテーマについて内面化していく。その内発的な生産にSNSは相性がいい。
    しかしweb2.0はインターネットの仕組みにおいて観測が本分だ。発信も一方的で、相互的なものはまやかしにすぎない。

世界が狂い始めている

    世間はSNSに対して融和的な態度を示し、さらにオタク嫌悪の意識から時が経ち、カトリックがキャラ絵を作り始める始末(キャラ絵きもいですよ)だ。世界がおかしくなっている。オタク趣味も個人的には楽しめるが、普通に物理的な対面においてオタク的な話題をされると、ガチでドン引いてしまう。(私は現実ではそういった話題を全くしたくないのだけど、お前らはどう?)
    SNSや公的にキモい趣味も、相反する定常性に安住していたから楽しめるのであって、その定常性が崩れるなら梯を外し、現状を教室(視野狭窄で不本意な密室)と定義して出ていくしかない。

    キャラ絵は公的にキモく徹底的に排除し、SNSをしている人間は首を吊って死ね。

    これが不変の真理
    誰も言わないなら、自虐的に主張するしかないでしょう。
    そしてSNSを歓迎する世相において、SNSを完全に止めるべきという実際の質量は日和見的に誤認され、訂正されない。

引退

    SNSの引退
        実際に使わないこと
        由来を持たないこと
        動機を持たないこと
        興味関心を持たないこと
        他を優先すること
        痩せ我慢をしないこと
        妥協する余地はないこと
        手段の忘却

241211#1

Image from Gyazo

    お兄さんみたいな社会的に無価値なのに、穴があったおかげでふたなり女の子のオナホになれてよかったですね〜♡

## 241211#2 SNSの引退を宣言

    将来的にはSNSに矜持を持った痛々しいジジイにはなりたくなかったし、そもそもtwitterの命題は消極的な自滅にあったからどうせ削除は免れない。将来と現在の隔たりがない以上は現状から理想的な爺として振る舞わないといけない。
    ソーシャルメディアの完全な引退で公的に約束しておいた。個人的な恐怖は気付けば習慣化していた点なんだよな。そもそもSNSの問題だと思っていたが、私の課題である場合もあるだろうし、やはりしないことにつとめるしかない。
    逆に約束のないことは、自らにおいて良い意味でいくらでも裏切りようがある。
    無自覚な命令語が多いから分類しないといけないからしょうがないね。
    この場合の時間的な定常性を平気で転換させる感覚は非人間的だなと思う。約束がなければ、刹那に意見を変えられるし、説明責任以外に自我(主義主張個性)を主張する意味ないな。
    書き込みは意味がなく、意味がないことを行うのがネットだと思う。
    なので無価値であるから軽率に削除するのは、公開したら全てアーカイブされるような原則に期待しているからだ。gitihubを経由してるからソースコード同様の扱いも出来るし、履歴からも辿れるだろう。調べるといくつかされていたようで、個人的にはarchive.isが削除申請に一切応えないことで有名なので、そちらをオススメしたい。どちらにせよ。デジタルである以上は所有者の意図に関わらず公開非公開は他者に委ねられている。
    ただ画像の扱いは別で、githubにリポジトリとしてアップロードされないgyazoなので転載か普通の著作権の扱いだ。しかし画像も文と同様でいい。

## 241211#3 linux

    arch linuxって最高だと思う。
    arch+htprlandでやっていて、何故か嬉しい気持ちになることが多い。
    多分これは「設定させていただいてありがとうございます」ということなんだと思う。
    neovimも使っていて、こういった物が選ばれるが同時に嫌煙される理由も分かる。
    windowsならAtlasOSが最善でしょう。しかしlinuxには代えがたい。正直、ここまで嬉しいとは思っていなかった。linuxって嬉しすぎる。誇大的な主張ではなくて、マジで精神衛生上良いというのが続くので実利的に素晴らしい。
    逆にwindowsって鬱っぽいんだなと思った。これらも設定できないことが多いからだ。

嬉しさ1 タイル型ウィンドウマネージャ

    入力による手早い画面操作が素晴らしい。

嬉しさ2 変な動作をせず、軽い

    PCが私に礼を言っている。
    windowsはアップデートを制御できないからいらない機能を入れてくる(AtlasOSならアプデの停止が可能だった)

嬉しさ3 ロングリリース

    archのアップデートが全く無いので余計なことで時間が取られない。

嬉しさ4 c言語が素直

    windowsだとめんどくさい。そもそもc言語が面倒な言語なので、これ以上に面倒にならなくていい。

嬉しさ5 詐欺がない

    linuxを触る当初に「linuxで出来ないことは基本的にしなかった方が良かった」という言葉を見たのだが、これは本当だった。linuxでソフトウェアを探すなら基本的にOSSになるし、それらは拡張性が高くて、詐欺でないので使いやすい。詰まると厄介だけど、それは利点でもある。

嬉しさ6 精神的に良い

    これはマジに思った

嬉しさ7 プログラミングするのに適してる

    c言語もそうだけど、余計な邪魔がないので集中できる。

嬉しさ8 windowsに無いソフトウェア問題は気にならない

    wine使えば動く場合もあるし、linuxで動かないなら、もともと使わない方が良かったんだよ😆
    何事もできると覚悟すれば何でも可能だと思うのであまり気にする必要はない。

嬉しさ9 archwikiが充実している

    全てがあるとされるarchwiki、本当に全てがある
    最近だとこれで解決した Image from Gyazo

プライバシーとセキュリティ意識

    linux

## 241211# indigo372への再言及

    削除記念
    indigo372のメンションに「友達が全くおらず、寂しく、幸せになれず、知り合いの中で最も山上徹夜に近い人物」と看破されていたが(ひどい笑)、大まかに当たりではあるのものの(テロリストではないぞ)、それらについて苛まれたことは一度もない。孤独について寂寥に苦しんだこともないな。
        ただ客体的にそう評価されるのは当然だし、彼は不服な状態だと思っているらしい。というかそれは普遍的な価値観だと思う。
    この話題しつこいかな?でもindigo372氏は活動を停止したり、SNSをしないような反論が来ない人物を狙って大胆に総括してくる傾向があるから、私もその直感の域に含められた感じがしてムカつくので言及くらいはいいでしょう。こう何かしらブログの形で残しておきたかった。indigo2/古村藍/indigo372/azure某について。
    フェイク云々も、確か彼は自殺を匂わせてたことがあるのに、生きている。こういう張り合いはするつもりがない。けど有料の限定公開で発表した物事でダウトと言い放ち、性的な自己満足をしただけなのに、フェイクか否かを語られてもピンとこない。一念発起して一度男娼することがなにか凄いことなのか?
    対話を誠実?正当?を演出してたけど、支援サイトの限定公開で信者に向けて、悪口を言ってたのはindigo372氏だ。まずは普通にパブリックにすればよくね(私への非難が起こることも込で)
    そして、すべあなとか関係なく、カウンターがない前提に安住した我的な二次創作を行った人物は軽蔑していた。indigo372についてはmononokeところんばだ。SNSに悪態や事実誤認を書かれただけでメンションで反論するようなら、理解できる価値観だと思う。先に人を不等価に扱い出したのは、そういった自己中心的な人物だ。
    “辻斬り“する加害たる覚悟もないのに、心配する振りして人をテロリスト扱いしたのか?
    ただこういった気持ちが有形化されるのも、SNSありきであることは否めない。つまり存在しない。あとnoteのCEOがXの方を積極的に使っているのは面白い事実だと思っている。
    公開だったが、メンションがなぜか暗号化されてたのでこちらから再公開(ブラウザのセキュリティが強すぎるせい?)
    https://telegra.ph/2024-07-31-183753-12-11
    fedibirdを「逆張ラーの終点駅みたいな埃被ったSNS」と形容するのは流石に私の窓口から物事を見過ぎだと思う。Xは「男尊女卑のイスラエル・トランプ支持者によるネトウヨSNS」かな?個人運営の個人サービスだからXみたいに軽率に貶すのはお門違いで論外だし、fedibirdは分散SNSの中で最も丁度いい。まあ分散SNSの機運が高まるほどfedibirdの運営の素晴らしさが理解しやすくなるかもしれない。kikuo氏など見ない人が呟いていて面白かった。連合されているならどこでもいいけどね。
    というか分散SNSだと王道な方なのでfedibirdを逆張りという観点はあんま無かった。
    前半でイナゴについて長々と内容を語る下り、私はファンを公言しながら米津の楽曲をリリース前に替え歌を公開したことについてイナゴだなと思った記憶があるが、イナゴの内面性について話した覚えはないので遺憾である。そもそも由来も二次創作だしindigo372氏の創作の内面性について全く興味がない。部外者がカウンターが来ないことを確かめて自我を主張していいることに憤慨したことを中心に活動していました。捨て垢もしたことないですよ。ちゃんとパブリックで愚痴を書きます!

https://telegra.ph/2024-07-31-183753-12-11

てか反応はしてたけど、手紙の返信はしてないからするべきだと思うのでしようと思う。これは他の媒体ではできないウェブだけの利点の一つなんだけど、「全文返信」ができる。 本質的に両者が気持ち悪い伝達方法しかしないのが、この気持ち悪いコミュニケーションの核だよな。だから私は基本的にメンションしないし、液晶越しに派生した物事は基本的に無価値だと思う。


必要があって1年以上ぶりに開いたらaosjmiが出てきて精神終了……。

返答が来ないことを自覚し、客体コンテンツ化し続け発信することのカウンターだったので報われた瞬間である(別に彼だけにしていたわけではない)。程度は目的じゃなかったから傷付きすぎないでいてほしい。 「罪を憎んで人を憎まず」なので特に人を憎んでない。人格に触れたけど、それは目的のためであって、本当にそういう意図があるわけでない。できる範囲で同じ権利を行使しようと思って…あと気晴らしの側面もあっただろうね。

まず私がころんばの’亜’的な二次創作がどれだけ嫌いなのか、全体にも言えるけどそんなに把握されてないよな。10の1。

一個だけいい?キックバックCOVERが私の愛の表現という洞察は完全にずれている。

上記の通り、あまり内容は問題ではない。人がいて、返信できる状態で客体コンテンツとして言及し続けることが目的である。

あれは完全にウケ一点狙いのエゴ爆弾です。私の文章読んでたら私がタツキもチェンソーマンもまるで愛していないことくらいわかりそうなもんだけどな。 「一般的な感性(≒too acuteでもtoo dullでもない)をもった大衆が『この人は作品を愛しているんだな』を感じやすい挙動」みたいなのを理解しているだけで、発現はすべてポーズです。あれはどっちかというと私が作った低質な音楽付きあらすじを祀り上げた大衆が悪い。こういうこといちいち説明しないと駄目かい?

ダメじゃないに決まっている。私は悪態を付いたのであって全く命令したわけではない。逆に勝手に命令だと思わないでほしい。言ったことで完結してる。

こういうのは前提のすり合わせの話だけど、命令する両者の合意があって、命令しない限り、それは命令じゃない。なので私が「するな」と直接的に言ったとして、それをして、私は納得する。しかし、言うことはある程度は自由である。まるで私が命令をしたようにみえたとしても。もっと自分の軸を持ってください。

そもそも娯楽を気晴らしに使い始めた時点で、私は作品を語りも気晴らしの感想でしかないから、語れる資格ないとは思ってる。

大衆が悪いなら消してまた再投稿してみて笑?

それ自体が野暮な気がするのだけど……。ともあれ実際に非実在の愛らしきものを大勢が感じた結果わたしはアドセンスで懐が潤ったのでjust as plannedに事が進んだと言うだけです。

感じた結果じゃなくて、普通にyoutubeのアルゴリズムだと思う。

日英英日の辞典は「翻訳的な便宜」と「概念的な説明」で混在してるから、英語は英語で、日本語は日本語で話してくれると助かる(それですら怪しくなれるのが言語の面倒さだよね)。

前者の場合、暗黙的な了解ではあるものの日本人全体の内輪ノリだと思う。同じ辞典を持ってない。

まあ読めないことはないから些細な問題か。英英も循環定義あるし、主要な情報源が英語しかないわけじゃないのにルー語になってるのはよく分からん。英語は悲しみなのかも。

理系の用語って最初から日本語で覚える必要がマジでないんだよな。

そのメカニズムを理解せず直観的にキモいと感じたなそれはすぐれた直観ではあるがすぐれた洞察ではない。

生きていたAosjmi(ヒットラー)

親方!aosjmi でググったらこんなアカウントが!ダウト。 私は今年の1月、地域限定エリアボードという掲示板を通して、実際に57歳男性と”男娼”をしました。レポが読みたきゃ渡してもいいし、やり取りのメール履歴もあります。お前みたいな「SNSはゴミ」と常々言いながらあらゆるプラットフォームを転々として依存し続けるフェイク野郎とは違います。

男娼(買春/売春)は法令違反だと思ってたのだけど、肛門性交は性交類似行為に該当されて、法律において性交ではないので売春の定義に該当しないらしい。 地域掲示板で自由恋愛して行うものは男娼ではないよね?

きっと男と交わることだけを指していて、言い間違いなんだろうなと思います。もしくは金銭に関係なく使えると思っている。対義語は娼婦で英語ではmale prostituteだから。

文面だけ読んだ時の「偽チー牛 vs 真男娼」のマッチアップ何?

内容は同上だから間違いはあると思う。私に渡すくらいなら、レポを公開すべきだろ(面白いので)。この文章も公開アカウントでこなかったし、かっこつけてんじゃねー!。

有料日記の情報でこれ言ってきてるのマジで何なんだ?noteのペイウォールって破壊できる?

何回有象無象のプラットフォームでアカウント消しては作り直してるんだよお前。言ってみろ。

逆になぜ所有してないモノを所有物のように大切にしているんだ?気分で消すくらい当然。

(これは私もあまり人のことを言えたものじゃないが……)aosjmiの批判って、最初期からずっと整合性云々の前に的が外れすぎていて話にならないな。

同上

(これは私もあまり人のことを言えたものじゃないが……) 厳密になれない話題は最良の近似しかできないから「ようやってる」方だと思う。ノイズだから前置きやめろ。

誤った前提のまま全力ダッシュしてるから審査対象にもならない。殴り合おうや。お前に「愛」を教えるのはもうやめた。 死ぬまで殺し合おうや。そんなに加害が好きなら。受動攻撃で古村をsageるようなシャバい真似しないで。デンジアイコンの捨て垢もお前だろ。

sageの用例を掲示板以外で初めてみた。私も一時期「下げる」だと思ってたんだけど、その根拠がないんだよな。 これ「確信犯・役不足・姑息・煮詰まる・敷居が高い」なのでは?音韻に引っ張られるのも想像に易い。 ネットはsageみたいにやるのが良い。みたいな使い方もある。

デンジアイコンが何をしたのか知りたい。チェンソーマン読んだことないけど、シス女性がキメツを作ってシス男性がチェンソーマン作るの日本がプッシーになってる(まんこ)。 ルックバックとかいう女体化漫画家漫画が人気になるの女々しすぎて、これが少年漫画の未来なんだろう。このまま行くとジャンプでfemboyが最高の恋愛漫画を作り、女性作家がベルセルクを作る時代が来ます。

やること全部透けてんねん。お前のすべてを否定する用意があります。お前のすべてを抱きしめる用意もあります。かわいそうなんだよなあまりにも…… 私も友達あんまりいないけど、彼のそれはちょっとレベルが違う。友達はおろか、リアル・インターネット問わず対等な立場でまともに会話できる、愚痴やくだらない話を言い合える人間が本当にひとりもいないとしか思えない。そういう人間が最後に落ち込む地獄に閉じ籠もっている。 憶えがないわけではない光景だからなおさら居た堪れない。今私が知っている人間の中で一番Thomas Matthew Crooks状態になるリスクがある男だと思っている。 実際Thomas Matthew Crooks状態になって「それ見たことか」なんて言いたくないよ。 止められるなら今止めたい。 おせっかいかも知れないが……。

主体性のあるすべての人が例外無くいつでも誰でも殺人者になれます。まるで位置関係があるようなレトリックは辞めろ。 心配ふりすることで、犯罪者扱いしてくる明確な加害行為なので、やはり暴力を避けると公言する人ほど、しばりプレイに長けていて、どうすれば相手を見下せるのか詳しい。

私じゃなくても全然いいんで、本当に、まずお話できる人を見つけた方がいいですよ。 カウンセラーでもなんでも。

この時点でやれることは全てやっている。そもそも精神的につらいことが、解決すべき問題で、自己を制御できなくなるという認識が私とズレているので、よくわからない。 「発情してるなら抜いた方がいい」という助言に還元するなら理解する。

会話的であることや精神的な危機は問題ではない。なぜ自傷で手首を横に切るのか?なぜ辛い時に死にたいと思うのか? モノマネを辞めれば解決する。

善い生き方とか正しい生き方とかを机上で考える前に、人との向き合い方を根本から変えないといけないと思う。

言ったことをそもそも私自身が真に受けてない。公開すれば、それは成される。公開の原則

忘却を愛せよ。

人の向き合い方かー。私は基本的に義理で生きている。 あと過度なセルフネグレクトと自分の機嫌を自分で取れない人(他人に機嫌を取らせようとする人)を思考や視界から徹底的に排除し忘却する。

私は経済的に自律し、精神的に安定してるから、人との関わり方を早急に変えるように迫られる感じはしないけどな。 私の書き込みを真に受けられてるから「虚構と現実の区別」を付けた方が良い。

まあこの文章自体が「真に受けた」芸みたいなもんなんだろうけどね。入り組んでいる。

どんな事情であれ「人を侮辱することが正しい」なんて倒錯した考え方を持っている限り、幸せになんてなれないよ。

「侮辱に値する人は侮辱していい」とは書き込んだ記憶あるけど、これはA is Aっぽい方が論理的に正しいよね。

つまり「会話的じゃなくて倒錯的な考え方では幸せになれない」と諭されてるのだけど、それ本気で言ってる?マジ?わからないのは「幸せになれないことがダメだという価値観を前提にしている」点だ。

幸せという言葉を使うからよくわからない。「良い方、悪い方なら良い方を選び続ける」とか「所属する環境はできる限り改善する」みたいなことはわかる。ただ幸せは意味がブレるので、全く理解しない。 そもそもどちらかというと寓話的な論調のように思う。「幸せとかどうでもいい」とかもないよ。人文的な話はだるい。そう、答えは副作用として倦怠感になる。

そもそも私は「常に気分がいい」ことに合意してるため、再生の過程で気が狂うように見えても、最終的に平静であることを常に知ってる。 客観的におかしくても、狂ってるとか言われても、断言できるが、一度も「死にたい」など書き込んだことも言ったことも思ったこともない。

平気で「死にたい」と思える人に私が理解できるはずない。つまり自分が絶望してることに「自殺したい」が紐づけて勘違いしているバカだからです。 これがバカである理由は「手首を横に」カットする自傷がモノマネであることと似ている。 殺人を行う可能性がある懸念は流石に違うと表明しておく。そして絶望とか感情労働はアトラクションであり大した問題ではない。

あと幸福の使用を一旦飲み込むとして、それは「不幸の回避」の文脈でしか使いません。

indigo2は狂ったら人を殺すかもしれないという自己との葛藤があるという表明として受け取ります。これを私に押し付けないで。

私はただ世界では平気で殺す人がいて、法律や権利など結構脆いなーというのを体験としてずっと言ってた。 過去に6年くらいいじめられてて、ガキながら「なぜ私は累積して地球が割れるくらい殴られていて、法やモラルがあるのに、実態はそれを無視しいてるのか?私もいじめっこと同じ権利を持っているから、実は私が彼の頭をかち割ってもいいのではないか?(AがBを殴ることは等価だから)」みたいなことを真剣に考えていた。そして暴力を実践して、私は親と職員室に呼ばれた。ここでいじめも克服した。ここで得た教訓は「権利ではなく人生である」こと

そして、地元を出て、静寂を手にして解決した。

私はgenuineにあなたが心配です。山上状態になるのも心配だし個人としても心配。 ヒステリーにしても期間が長過ぎ。何年こんな調子で歪みきった自意識をさらにゆがみツールで歪め続けてるんだ。重ねて人のことをあんま言える義理ではないが、重ねて彼はちょっとレベルが違う。これ、普通にこのままブログに上げるより直接送ったほうがいいな。無関係の人の眼に触れさせて不快にする必要もないでしょう。公益大事。辻斬りはなるべく控える。おい、チキン野郎。サシで話そうや。

いや自分の軸をちゃんと持て、しっかりしろ。私が何を言ったとして、真に受けるな。 この程度に動揺していたら、言葉程度に人生が振り回されるぞ。無意味に他人に振り回されるな。 お前はいつも他者を客体コンテンツにするきっかけを探っていて、それができるなら心配する素振りもやぶさかではないらしい。 もっと結論や過程を生成せずに「じっとする」ことをやるべきだ。 indigo2が問題なのは人を客体的に見てしまうわりに、わざと人間扱いしようとする点で「気持ち悪い」です。

深刻なアドレナリン欠乏なので、不必要な予定を建てられない。こういう文章が来た以上はサシで話した方が後腐れないのは理解してるけど、致命的なまでに煩わしい。

犯罪者占いで山上徹也が出るのISTJだからいいね。報復がダメだと諭されてるのに、犯罪者扱いは公然と行ってきていて、根っからの田舎者が多少本を読んでも意味ないことがわかる。

うーん、でも私はフェイク野郎だから、究極的に殺すといっても殺さない。理解されてないけど、私が取り組んでいるのは、生活の最適化であって、「法を守る」「自立し続ける」が大目的で、過程がどう歪んでいるかは問題ではないかな。

名前が分からないけど、indigo2ってなんでそんなかっこつけてるの? 勝手に幸せを語られたから、語り返すけど、普通に常にバズを狙った方が性格と合ってると思う。悪い意味じゃなくて。Xも毎日ルー語で話して、私へのメンションだって、公然と行いスティグマにすればいい。そういうのが合ってる。 なんか未だにギョッとする捨て垢を作ったりするし、なぞに別名を作ったり、「個人として大立ち回りして個性を認められたい」が中心にあるというか。スーパーハッカーになりたいのではないか?

シャバいのは日記で明らかなのに、各プラットフォームで別人のように振る舞うし、「迷惑を掛けない方法」の記事も見たけど、普通に「私が嫌われないために心がけてる方法」でしかない。未だに嫌われない方法について考えるのは辞めたほうがいいんじゃないの?年齢はしらないけど、私より上なのは察してるようだし。法と権利をハックせずに構えればいいだろ。迷惑はダメだけど、嫌な人間なのは良い。どれも雰囲気の話じゃん。

私も愚痴愚痴言ってたけど「私が強ければ解決する」と理解したうえ、だからね?強いとかではなく、鈍感でもいいかも。実際の問題はそれで解決できる。 でも口が余計なこと言うときがあるので、それを過去に書き込んでいた。だから当然フェイクに決まっている。だって強ければいいし、私は最低限可能だ。 まずセルフネグレクトを完全に行わなければいい(実は認知的に難しい)。睡眠と食事などを気晴らしではなく、ただ健康と気分を良くすることに扱えるか?など

私は対話モードとブツブツモードで意見が全く違う。自己矛盾ではなく、私だけに適用して自由に考えることが面白かったから。

こんな逆張ラーの終点駅みたいな埃被ったSNSでブツブツ言ってないで。知ってんだぞ、君がウキウキでdiscord鯖立てては誰も来ずひっそり爆破したの。なぜあんなもの立てた?誰かとつながりたかったからじゃないのか?

reddit的なトピック指向の脱法はてなブックマークみたいなプラットフォームで良い記事や音楽をレコメンドし合いまくりたいという気持ちはある。良い人が良いコンテンツを知って、良いコンテンツには良い作者がいる。それが再帰的な構造を持つのがネットワークの良さだと思う。情報のために他人を働かせたい。私も働くから…。lemmyを自前できたらいいのかもね。

あれは私がよくアカウント削除したのと同じでネットとの関わり方を色々模索してて、そういう一環だったな。流石にあのフォロワー数というか求心力で人が集まるわけなかった笑。

私はあなたが望むものになろう。

クールふたなり美少女!

友にでも仇敵にでも。

幼馴染ロリと悪落ちクールふたなり美少女!

このままだとお前はもう後戻り出来なくなる。Fall guysのHEX-A-GONEの終盤みたいに足場をどんどん潰して最後は落ちるしかなくなるぞ。

しかし現実は思い通りに殴ってくれない。 右の頬を殴られて左の頬を差し出しても、スネを蹴られて、落下してきた花瓶で死ぬ。 「game over」はフラグであってコリジョンではない。落ちてもブレワイの地面貫通バクみたいに、リセット待ちになる。日本だと自滅のために動かなければ「リセット待ち」は終わりのフローではない。 まあ人生にどのくらいのボラリティーを期待するかで認識は全然違うから、indigo2からすれば私は死んでいるようなものらしい(ショック)。

落ちるって具体的に何?紛争地帯の市民みたいに並べられて射殺されるとか?典型的なのはロスジェネの成功感で負け犬になってへこたれるみたいなことだと思うんだけど、私には何も共感できなくて、死ぬまでに必要な分の金を稼ぎ、余暇をレクリエーションに当てるのが理想で、ここ一年くらいはフルタイムで働いても8時間は学習に割当らて、多分、これは死ぬまで同じようなことを続けられる(なんでもそうだけど、エグい事故や病気がなければ)。理想を完全に確立している。不満は仕事で創造的なプログラミングに偏って欲しいくらいかな。

ずっと私が気の狂ったことを書き込んでいたことが不服な状態だと勘違いしたまま進んでいる。まあどれだけ誤解しても良いに決まっている。

別に私の誘い自体に乗る必要も強制力もないが、その黴臭い地下室からはさっさと抜け出して剥き出しの肌で現実の雨を受け止めた方が良い。

お前が現実の雨に振られているように見えないので、オレを騙そうとしているのか!!!!(糖質)

君はきっとまだ若い[要出典]、今なら間に合う。普通になれとは言わんからその拗れに拗れてブルジュ・ハリファくらい膨れ上がった自意識をどうにかした方がいい、なにか間違いを起こす前に。

うるせぇカス

私に一方的に罵詈雑言浴びせるだけでも一向に構わんから、seek help。rn。誰かに差し伸べられた手を、せめて一度は疑わず握り返せるマインドが出来てないと、一生齢五十の大人に恫喝されるなどの過去のトラウマに一生を食いつぶされるだけの人生になるぞ。同じ新都社作家のよしみや。話聞いたるからそこらじゅうの陰口ばっか言ってないで真正面から来い。

私が犯罪者予備軍であり、改善を促す論調を全て飲み込んだとして、なぜその拠り所を奪おうとする結論なのか客観的に理解できない。 本質的にこの文章が保身かちゃかしの比喩であると思った理由の一つだ。私を擁護するようでキモいのだが、それ自体がストレス発散っぽくないですか?これで解決してることを別のモノにしようとする意味あるか?

次はちゃんと公開アカウントで「うるさい。殺すぞ/黙れ/死ね」と書き込めるようにしておいてください。だるいから変に理想を演じないで、ネットはそれでいいんだから。 てかチキン野郎はindigo2だろって毎回書いてる怒。お前の文章に金を払うまで認知を狂わせてしまった信者向けの文章として公開するか否か考えてる時点で、私に向けた文章のようで、背後にオーディエンスに向けたパフォーマンスじゃないか。バーカ。

洞察を認めよう。そうだ!私は臆病者だが暗殺まで行えるほど自由で自立している。人権などなく、人生がある。そして人間の本能がどれくらい狂気を許容できるのか知る必要があるだろう(正解は無限)。 問題は臆病なことではなく勇気の有無でブレイクしてしまうしょうもなさを回避することだ。そして勇気で解決できることは一律で無料。これによって人間関係の主観的な問題は全て解決する。

この文章に限らず、全体的に人文系の感性っぽくってだるい。倦怠感って私にとって死活だからだるい内容はやめてほしい。でも何を言っても伝えてもいい。こう前置きするのは面倒だ。

否定したら命令だと思う人、言葉程度で傷つく人も煩わしい。 しかしどれも反応で、私もそうする。だから最後は「特になし」が結論です。


## 土木作業バイトで鬱勃起した記憶

    大人に成ってまで友人や本音など深刻にならず肩の力を抜いて良いと思う。そういったモノは義務教育で終わったので、なければ無くてもいい。何も人と良き関係を築く努力をしないと言うわけではない。例えばボランティアに参加すれば優しい輪に強制的に入ることが出来ます。きっとそういう訳ではないから友達がおらず本音など対話が出来ない=孤独で辛いと感じるのでしょう。(邪推)良き隣人はほしいけど、実利的に動機のある人と友人的に仲良くなったらよくね。友人を作るってマジマジのマジ?と昔から思ってたな。
    あと本音も逐一正直に話すような演技するのダルい。この場に体一貫で時間を消費してることが本音に近い。本音自体もカウンセラーに「地元で報復駆動で生きてたから、出てから続けるのはむずそう」とかなり前に伝えてるから、もはや何か本当にいいたいことはないな。建前と本音の違いって意外と無い。出生は全員が不本意だが、自らの選択だと納得でききるまで選択した末に、現状に対する不満は自業自得なので全く無いし。
    こういう子供時代から続く概念を当然に大人に成ってもちらつかせる人の価値観が透けてると毎回疑問に思うんだよな。これに限った話ではないから。そういうのって終わったのかと思ってたけど、またやる気あるふりしなきゃいけないのか?やらないけど笑
    自分は友達が多い経験もあるから、逆に現状に全く友人がいないことにも焦りがないというのが一番大きいと思う。これ共通的な感覚として周囲で確認できたので確かめてみてほしい。話がそれた終わり。
    そういう冗長で楽しいだけのことは学生時代に満足行くまでやり尽くしたから、今更それを能動的にやる気が全く起きない。多分それはやったからやらなくてもいいと経験的に納得できたからだと思う。そういう欲望があるのに、裏腹に出来ない状態が鬱屈させるなら教育の成否というのは残酷だと思う。
    土木作業のバイトをやってた頃に、小学校のクラブチームと同じ法則で組織が動き、後者には労働基準法が適用されていなくてキツかったし、金銭的に直結しない分、無意義で地獄だったということを再認識した。
    パワハラ是正前の働き方改革以前の土木作業って普通に悲惨な奴隷労働なのは目に見えて分かったから震えた記憶がある。真夏の作業で倒れても救急車呼んでくれないのが現在もデフォですからね。我々は一昔前に生まれなくてよかった。
    土木作業の思い出、ショベルカーの入れない位置にある大木の根っこを一日掛けて角スコで掘ったのが一番やばかった。土木用の筋肉ができてない初期にやったから、一時間でバテて、しかしバテても続くので動けないのに動き続ける必要がある。
    肉体労働できついのはペース配分でミスして、序盤でバテると今日日の回復はないまま以前と同じパフォーマンスが求められ続けるところだ。
    あとは筋力を使いすぎると低血圧で吐き気、視界がブラックアウト、意識が遠のくを入ったり来たりして、意識が飛ぶ点が挙げられる。
    現場監督の取り組み対する姿勢や評価軸が小学校のクラブチームと同じ法則性で動いていたから、無駄な自意識は既に削ぎ落とされ、指示や作業員と話す中で私は土木作業用の人造人間として鍛えられていたことを理解して、その秀才さを遺憾なく発揮できた。運動時の身体的疲労がトリガーとなってあれやこれやトラウマも頭でリフレインするし、それらを気に留める時間もなく運動によっててアドレナリンに転化されて気持ち良くなるから働きながら鬱勃起していて、もはや風俗だった。きっとロボットの語源はこんな感じ。
    ただ嫌味のないクズが多くて楽しかった。何度も真夏に熱中症で死にそうになったことを神秘体験みたいに語るベテランや、清々しく「こんな底辺の仕事は避けよう」と忠告しつつも、土木関連の楽しさを語ったり、吐き気して食べる気が起きないのに談笑してたら気分が良くなってきたり、明らかに重機が眼の前で動くヒヤリハットや肉体酷使の死が近いことに起因した活気があって、何より向いていたのが最高だった。いや死に近づくな。何より労働で筋トレができるからお得。
    つまり、このような精神性を初等教育に組み込んではいけない。

これ個人経営のなんでもやかつ土方で倫理観が狂ってた。記憶にないけど、普通に敵対勢力の死体を埋めるとかしていてもおかしくない。 でも肉体労働はマジで好き(加齢で続けられないのは目に見えてるので即座に退散した)。


11/17

完全にキレている。といっても怒っている訳ではない。このような感情について、過去には理由を付けていたと理解して、それに理由を付けないでいる。 感情には先行性があって、割と怒りながら理由を考えている人が多い。何かが害されたなら、ただタスクが増えただけなので、感情に固執することは執着だ。 「人のせい」という言葉が他責として使われているが、実際はあらゆることが自らに帰属される。 究極的にはあらゆる感受は内部に転換される。どんな物理的な因果関係を目にしても、受け止めるものが内部に転化されるので、ナイフで刺されて痛いのは、あなたの痛覚のせいだ。痛覚なしに痛みはない。視界も物理的な因果関係とは別の層に内部へと転化された刺激が認識できる全てだった。 社交的には外部帰属と内部帰属がわがままだと嫌われる傾向がある。つまり因果的にはヒトが原因であるが、内部帰属させることが喜ばれる場合や、理不尽すぎるのでヒトのせいにしてもいい場合がある。例えば通り魔に恋人が殺された悲しみと寝坊で遅刻した学生がいる。前者は通り魔のせいにすることが公然と許されているが、遅刻は許されるイメージはない。しかし、学生が徹夜してまで楽しんだLolが原因だと決めつけて、徹底的に恋人が殺されたように憎んでしまうこともできる。逆に亡くなった恋人を遅刻したけどゲームは楽しめたからOKと全く気にしないこともできる。さらに恋人が大犯罪者で死刑を受けるなら、それは喪失について悲しんでも、理不尽であることに社会的な合意が得られないため、それについては感情的にならない。 こういった社会的に合意が得られるか否かを鑑みて、逆思考から感情表現を自らに許す甘さがある。 ゴキブリは声を上げて忌避していい。しかしハエトリグモではそんなに騒がないみたいなニュアンスの差でも結果は全く異なる。これは刺激のすべてが内部の層で初めて発言したものだから行使できる自由で、悲しい時にか笑うことが出来る。ヒトはゴキブリの象徴を当然に認める。ゴキブリと書いてもネガティブな意味ではない。社会的合意を基に感情を制御している。家族を大切にする気持ちとゴキブリを無意味に忌避するギミックは全く同じなのだ。ゴキブリが汚く、排除すべき理由を当然に認めるように、愛すべき人がなぜ大切なのかも信じている。人を愛することは共適に許されいてる。仕組みは同じなのに、全く別の扱いを受けているのは面白い(サイコパス) 私が言いたいのは、社会的合意に関わらず、外部帰属は自己設定していいということだ。どれだけ社会的合意や感情的になりそうな場面においても、外部帰属を周囲に示したくないなら、人のせいにしなくていいということだ。これは気が狂っていて、どれだけ理不尽なことが起きても「自分のせい」以上に「内部の刺激」と一括にまとめることができる。揮発性の感情は、即座に許しを考えてしまう。許しを経て怒り狂う。怒っている理由は社会的合意の正当性を主張する。正当性があるならば怒り狂っていいと皆が考えているからだ。つまりゴキブリは気持ち悪いことは説明しなくても通念になっている。 これに気が付いてしまえば、もう不本意に感情的にならなくていい。それでも揮発性の気分は感情的な情緒を誘発させようとします。そういう時。気分に理由がない状態をただ認めるだけでいいでしょう。眼の前で明らかに拷問を受けているのに、耐えることができるように、痛覚が身体性に侵食するまでは、気分は支配できないが、感情は制御できる。今まで、おどろおどろしい気分に理由を付けてきた私も、その気分に全く理由がない。ただ気分が根拠もなく存在し続ける空虚を楽しみましょう。感情がなくても、世界は廻るし、物事は進められます。そして何をひとのせい(外部帰属)すべきかはゴキブリみたいに決められた偏見ではなくて、自分の意思で決めるべきでしょう。

塊だ


11/18

Image from Gyazo

「iPad baby」がGOTY

https://walkedoutneimans.itch.io/ipad-baby

このゲームはitchで配信されていて、BGMは音雲すぎるし、グラもsoundcloudみたいだ。

そしてゲーム自体に何の説明もなく、ゲームがいつ終わるのかすら教えてくれない。しかも面白い訳でもない。しかしこのゲームがシンプルにして、フリゲーやインディーゲームの面白さを明快に示すことに成功しているので最高だった。正直、これがインディーゲームのすべてだと言ってしまいしまいたい。結局これの繰り返しが個人開発ゲームで演出できるたった1つなのではないかと考える。

まず説明もなく目的が分かる設計なのは、鍵と錠前を見たら開けることができるという簡単な推理だ。第一ステージにはアイテムとアイテムを求めるNPCがいて、おつかいをすれば良いと分かる。例え説明されなくても、ゲーマーなら文章を読まずにやってしまうかもしれない。これは音雲に耐性がないなら頭がおかしくなるBGM以外に捻った要素はなく、タスクをこなしてしまえば、クリアできる。

問題は1ステージクリア後だ。これは実際にやってほしい。騒々しいBGMから壮大なアンビエントへ切り替わり、地面以外のあらゆる当たり判定が解除され、プレイヤーは暗黒という静寂と自由に解き放たれる。第一ステージでは明確に示された鍵と錠前も見当たらない暗黒、移動は出来ますが、基準を見失えば上下左右が分からなくなる宇宙空間

この瞬間はインディーゲームのピークだった。

説明もなく壁の当たり判定がなくなり、暗黒へ放り出される
https://i.gyazo.com/53e378bdbb3142c6a9907f8298181ddd.mp4
数字との遭遇
https://i.gyazo.com/fdf609671225415409d7c4d79c611fd5.mp4

鍵と錠前があればゲームの目的は成立して、もはや鍵だけで錠の期待値を作ることができるんだなと純粋なギミックが壮大に存在していて本当に感動した。

こんな無駄を削ぎ落とした純粋なギミックを、こんなにも壮大に演出したゲームはあっただろうか?ipadbayはおつかいとパスワード入力のたった2つのギミックだけの脱出ゲームだ。しかも謎解きには何の捻りや工夫もない。それでいて何の驚きもない1つのパスワード入力が神秘的で面白すぎた。

神が本当に存在するので探してみて下さい。


hypeです。

軽度ネタバレ

一目惚れで目視して3分で購入、2回目の裁判が終わった時点でこのADVについて言いたいことができたので書く。

特筆すべきは、大半がダンロン派生として釣られてるはずで、私もそうなんだが、蓋を開けてみれば完成度の高い『魔法少女育成計画』のオマージュが本命に潜ませているということだ。 「ダンガンロンパ」は無印ならデスゲームと見做すことが可能だけど、それ以降はデスゲームというよりダンガンロンパというジャンルをやってる感が否めなくて、琴線からは外れていた。ダンロンだと思って期待せずにプレイしたのに、この作品はデスゲームを優先していたのでいい意味で裏切られて好感だった。

魔法少女ノ魔女裁判(以下まのさば)が「魔法少女育成計画」を軸に置いてると思える共通点はいくつかある。

1つは魔法少女モノのデスゲームで女の子だけで争うという点だ。これは言うまでもない。気が付くとキャラの絡みもまほいくと同じ系統だ。

2つは簡潔な能力が挙げられる。浮遊、怪力、治癒、発火など単純な指向性を持つ能力にすることでわかりやすく工夫ですね。

3つはキャラの深掘りのタイミングです。まほいくはバトルで死んだ後にキャラの核心について深掘りを軽くかます。 これを自覚的に繰り返すのが演出的に良くて、まのさばも自覚的に繰り返していたので好感だった。 しかもダンロンのサイクル(日常→事件→調査→裁判&処刑)でキャラの死を強制的に繰り返し、つまり感情を揺さぶる回想を定期的に挟めるような構造が最初から構築されていた。

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だから殺し合いの感情劇をコンセプトに置いてるのかと妙に納得しました。ゲーム性はダンロンだけど、方向性は違う方向を見据えてると思う。

魔法少女とデスゲームをやろうとしてまほいくの出典は否が応でも出てくるから当然かもしれないが、魔法少女育成計画のオマージュとして完成度が高い。 しかもまほいくを知らない人にも響いていて、なおかつ根幹を成してるのは反応を見れば明らかでシナリオライターはセンスあるなと思いました。ラノベで育った人の作るシナリオはいいよね。ラノベは高級SSなんで最高

あとシェロと古戸ヱリカの娘みたいな自称探偵がキャラ萌えとして良かった。しかも敬語で怪力でアスペ傾向

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ネタバレ

1・2章

まだ佳境ではない。面白いとも言い難いのだけど、地の飽きづらさがあって読み続ける楽しさはある。

完結までやった

逐次的に感想書くの作品のフローを邪魔しそうだったので、最後までやってしまった。

描写が空虚

作品を印象を直球に書く回想が薄い(しかし小刻みに多い)。もちろん楽しい作品ではあるけど、ここに触れないと流石に嘘になる。

デスゲームを題材にした作品共通の問題は最終的な解決はどうするか?ということで、今作品は「説得」という悪い言い方をするとご都合展開だ。といってもこれに正解はなくて、例えば別作品だと「同じ法が黒幕に適用される」とか「そもそも黒幕は死んでいる」とかがあるけど、どれも釈然とはしないなので、ここには期待してないし、舞台設定を取ったときのトレードオフなデメリットだから仕方ない。つまりデスゲーム作品で結末の是非は作品の評価には直結しない。最近のデスゲ作品だと「シグナル200」は結末を解決していて面白かったからオススメ。

説得の方法や過程がかなり薄い。 私はエマとヒロとユキがどうやって親交を深めていったのか具体的な描写を読んでほっこりしたかった。人間離れしたユキの挙動を対比してほしかったし、それを二人はどう受け止めるか知りたかった。 しかし説明は一切なく「仲が良かった」「いじめを傍観した」など抽象的な背景が列挙される。 キャラの回想も「虐待」「いじめ」「長期間の人の社会での潜伏」とは具体的にどうやって?「私はいじめられていたんです」という独白と近似できるキャラを彩る装飾のような回想しかなかった。 「いじめを回想する割にいじめっこが人間として出てこない」という点がこの作品の空虚な点だと思う。平面的な色付けで、立体感のある深堀は無い。ユキがいじめで普通に傷付いていたらかわいいと思う!

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なのでエマとヒロが仲良しだったということも半ばそう書かれてるので、そうなんだろう。という理解にしかならない。そういう意味ではシェリーとハンナは関係性にドラマを得た特別なキャラだ。

回想ラッシュ

プロットが上手かったのは素人でも分かった。この作品は短い周期で回想を挟む。 さっき起きたイベントや過去のトラウマ、飽きさせないための工夫に満ちていて、終盤は裁判から裁判までの間がかなり短いのでテンポが早い。

この回想ラッシュ(や新キャララッシュ)は異能バトルモノの伝統芸能みたいなもので、そこをちゃんと押さえているので「こういうのでいいんだよ」と思った。 前評判を斜め読みしたところ終盤が良いと聞いていたが、序盤から大魔女が出てくるまでが特に勢いがあったと感じる。書いてみて気がついたんだけど、終盤以外は良かった。

特に序盤の王道なワクワク感は良かった。面白いラノベっぽさがある。エンタメ系のラノベは描写を情緒的に描くことで意図を伝えることはそんなにしてなくて、ひたすら高速にプロットを駆動するしているように思う。枯れ葉が落ちることで死んだことを伝えずに普通に「死んだ」と書いて次々行って流れで示す感じ、悔しいけどそれが楽しい。

ヒロに感謝

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二周目は死に戻りしたヒロから始まって、秩序と正義に潔癖な強い性格で、一周目でかゆく思った所に一気に触れまくり、無意識に惨劇を回避したり、とにかく爽快感があった。 エマでちゃんと進行しつつ遅延された要素が一気に解放され、「正しさ」のためなら平気で嘘をつく性格も相まって、私の好きな「デスゲーム限定の才能」を感じる展開だったので良かったです。特にヒロとノアの関係はいいなと思った。途中で折れたけど

ダンロン

無視できないのはダンロンを意識しまくっていること。私は123プレイしている。 広げた風呂敷を一気に回収する召喚の儀式、ヒロの死に戻りとエマの魔女殺し、ここらへんにダンロンをプレイしたときの大団円や変わり種の雰囲気を感じたな。ただ狛枝凪斗みたいなトリックスター、「こいつがいたら何かが起きる」と居心地の悪いキャラは居なかった。最後には希望とか絶望とか言い始めて、パルダンガンワールドかと思った。

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結末について

デスゲームの結末にとやかく言うのは本質的じゃないとは思うけど、まあ大魔女の芯が中学生だった。13対1で精神論で詰めるシーンもあるし、ユキは敵になりきれていなかった。うみねこの魔女を考えるとユキはかなり性格いいですよね。みんなでユキをぎゅ〜〜〜したら解決してしまいそう。

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こうして人間によって魔女は絶滅したのでした。完

エンタメ

縦揺れのゲームで横揺れの奴おる?

二周してキャラ全員を深堀し、事前投票システムで調査パートをカットする。エンタメのために作られた完璧な作品でした。

まとめ

全体としては佳作ラノベとして楽しい。でも細部の空虚さがあるので夢中にはなりきれなかった。 特に中心であるエマとヒロとユキの友情にドラマがないので、その他の人間性について詳しく踏み込む気は起きない。 ただ予定調和の完成度には目を見張るものがあり、ADVの特有のゾーンに入る感覚はピカイチでした✨️

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以上

「横ノリじゃなくて縦ノリのゲーム」という言語化を思いついて、書きたかったから書いたモノ 実はそんなに面白くないのかも。魔法少女育成計画を見ろ。活字はもっとも自由でADVは本質的に気晴らし


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夜報

日週月と周期は気分で決めるタイプのレビューが相性がいいので再開した。やることがあるうちは続くでしょう。 基本的にログがタスクを煩わせるならしないのが花なので、常に短期で終わる。ネットの書き込みもそうだけど、所有者に関わらず努力される情報は残り続けるべきだし(そのために気になったら保存すべき)、投稿者が自分の投稿を消したかったら消してもいい。アーカイブ主義のアナーキーな考えもあるけど、流石にゴミ情報がネットには多すぎるから忘却も記録と同じくらいメリットがある。 SNSみたいな音韻的な思考の放言が摩耗せず残り続けるというのは非人間的で不健康なので、努力されているものだけが残ればいい。吐いた言葉が聞こえなくなる忘却もまた言葉の性質だと思う。 例えば、初音ミクの雑多なmemeマーケティングも歴史に情報が圧縮され、ゴミが削ぎ落とされて、最終的に「初音ミク」遺伝の格子だけ残ることが約束されている。エモーい。1万そこらで購入したのにキャラ設定に想像が束縛され、機能的にも完全に所有できないプロプライエタリなソフトなど自由ではないから、無料で自由なボイボとopenUTAUが良くて、それ以外は企業の搾取だ。 合成音声の発見は「キャラを元に団結しなければ、人は自由に音楽を聞いてしまう」ということで群れの性質を表してるのかもしれない。

ここ4ヶ月はsicpをしていて、魔術書と呼ばれるこの本はまさしく本質本でした。 体験として他の入門書を読んだ時、概念は網羅しても勘所が理解できなかった。 実践の納得が得られない感覚がいつまでもあったのですが、sicpは関数型プログラミングの基礎の思考を教えてくれる。いや理解するまで次に進ませない鬼畜と言ってもいい。 sicpの内容はジョジョです。「変化していながら、静止している」「変化すればするほど、同じものとなる」これは7部黄金の回転、再帰は5部、関数型プログラミングの概念は3部DIOの「時の世界」への入門であるし、この本はもはや漫画になってます(MIT学生向けの演習課題が600弱あって、読破に半年から15年掛かるハードコア)

現状、2章が終わりました。このペースだと8ヶ月掛かりそうですが、感想を検索すると平均的な速度だった。これほど時間を掛けても解く価値が有ると思わせる内容なのはありがたい。

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これは実際の授業で最初に示されたことなんだけど、コンピューターサイレンスはコンピューターでもサイレンスでもない。 ダイクストラも言うように、プログラミングを入口に考えた思考は貧しく、数学を思考の道具として考えることが抽象化をもたらす。 抽象とは曖昧の意味を全く含まなくて、可変にできる構造を定義域にすることや手続きに名前を付けること。実装から解法は還元できないけど、解法から実装へ還元することができる。 などなどsicpは数学と現実問題を仲介する概念について延々と説明していて、それはプログラミングではなく、本分は仲介(思考の道具)なんですよね。

この本が本質本である理由は、コンピュータから離れたプログラミング的思考を緩やかな曲線で教えているから。 この本が素晴らしい理由は、関数型プログラミングとlispと思考の道具を一挙に入門させて世界を一変させるから。

こんな好奇心を刺激するモノは早々ない。今後もバリバリ解いていこうと思う(げっそり)

sicpの影響で数学書にも手を出したのだけど、副産物として哲学は意味ないんだなと思った。 前は学ぶべきことが有るかなと思ってたけど、1900前後の数学基礎論の過渡期以降で哲学は学ぶべきものでは無くなった。 論理が確立した後の世界で1900以前の感覚を許容する言葉遊びは曖昧さが多分に含まれていることは素人にも分かる。 そして抽象化ではない。哲学の権威かつ論理学者であるウィトゲンシュタインですら数学者から見れば真理値表の貢献はあれど、「哲学で数学を規定する」ズレた方針であり、数学者からすれば重要度が低い。

1900以前は数学と哲学は同じ層と言えたが、それ以降に非論理的な組み立てを学ぶ価値は全く無い。 哲学者にもいろいろいて、前述したウィトゲンシュタインは論理学に貢献したから学ぶ価値はあるんだけど、その他95%は論理的態度ではないからポエムかエッセイでしかない。アリストテレスが現代に蘇ったら哲学ではなく数学に寄り添うと思う。

2016年に物理学者と哲学、夢のバトルマッチ(谷村ノート)があったけど、谷村の圧勝だったし、哲学領域の言い分は煙まいたり、態度の話だったり、納得できるものはなかった。 自己否定できる余地がない人と議論するのはだるそう。まあ数理モデルなど哲学的な問いを扱いながら生きている分野もある。

こういう人が気持ちを込めているので否定できなくなった概念は文化や教養に多い。そして評価することが不理解だと自動的な防御機能がある。 入門書とかではなく、数学書を手にとって良かったことの最初が哲学の区別がついたことだった。

一物理学者が観た哲学

人間の言語表現には限界があって、自然科学で議論される現象や理論について精緻に言い表すことはできていないのに、哲学者はそんな限界だらけの言語表現に依存して曖昧なことを言っているのでは?

「実験や観察は哲学の方法ではない、言葉と論理が哲学の方法だ」と言われるなら、そうかもしれない。しかし、それはいまや時代遅れの、錆びついた、お粗末で偏狭な方法である。

物理学者は実在性ひとつとっても定義を確定してから議論を開始するが哲学者は実在という言葉にそこまで明確な定義を付しているのか?

テクノロジーの発達した現代において、哲学が果たしうる役割はどれほどのものなのか。哲学は今でも世界の真理を解き明かすことのできる分野として成立しているのか?

世界の真理を知りたいと思うなら、私は哲学はやらない。ストレートに科学をやればよいと思う。

いつまで経っても「主義」間の論争に決着が着くことがなく、だらだらと生ぬるい議論を続けているように見える。

哲学者が提起する問題は、哲学者の思考の枠組み内でしか問題にならない。

自然現象は、物理理論の区分けなど頓着してくれない。哲学者にとっては、自分たちの思考の枠組み、つまり、形而上学・形而下学・存在論・心身二元論・ナントカ主義などの哲学的区分け・色づけが先験的にあり、この区分けに問題の方を従わせようとする。

哲学者たちの主張はポスト・トゥルース化しているように読めた。彼らは、経験事実や自然法則に束縛されず、言いたいことを言っているだけであり、自分はこう思うということがらを客観性を装って語っている。自分では客観論を述べているつもりなのだろうが、中身は主観論である。主観論を述べてはいけないと私は言わない。ただ、客観論のつもりで主観を滑り込ませるのは不用意だと思う。また、科学的にあり得ない話や論理が破綻している文章を、どうにか意味を汲み取ろうとして真剣に読むことは私には苦痛であり、時間の無駄としか思えないことであった。

などなど殴った拳を振り切っていて好感が持てる。 こういう議論はもちろん初めてではなくて、ゲーテルとウィトのマッチングも存在する。

Wittgenstein’s “notorious paragraph” about the Gödel Theorem

Wittgenstein’s argumentation is no challenge for the Gödelian, yet Gödel’s argumentation is a challenge for the Wittgensteinian.(ウィトゲンシュタインの議論はゲーデリアンにとって挑戦ではありませんが、ゲーデルの議論はウィトゲンシュタインにとって挑戦です。)

ここでも形而上の概念を出した方が劣勢になっている。

数学は論理に真面目すぎて癒やしだ。曖昧な言葉はソウルジェムを濁らせる。 抽象化が曖昧ではないと理解してから数学が魅力的に映るので圏論までボトムアップで全履修しようと思う。


(2025-07-30 13:13:03)

で、ここまで書いて思うのは排外して考えるのが個人としては合理的だと思っている。総当りはできない。 そういう意味で私は排他的だと思う。よく疑問に思うのは、小市民の心に潜むようなレイシズムは時に侮蔑対象を排除するために合理的なタイミングで差別するだろうか?ということだ。私はしていないと思う。差別や冷笑は「どうにもしてしまう」ことだ。これに揚げ足を取って差別者とするのは間違っている。投資でいうスケベであり、誰しもが持っている盗人の血だ。つまり上に哲学は意味ないと書いたが、それは言いたさのようなものであって、当然に哲学は木っ端まで消えて無くなるべきものではない。正しく解釈するなら「私が意味はないと言える事柄」と言っているという意味。

私が真に主張するのは「音韻的思考は葉先のツール」だということだ。発話することに根ざした思考体系は会話することのみしかできない。そして会話では厳密な意味の進捗は刻めない。忘れるし、不明瞭で、不十分。個人の話者としての立場は意見を一つに固定して、依存関係の管理が不可能なほど複雑だ。必要な時に定義を確認できない。抽象化が最近ブームだからなんでもそれで考えてしまうのだけど、要は発話者としての言語化で考えることは、数学に対するコンピュータなんだなと思う。

なので自我という概念は好まない。主体があるのは諦めるしかないとして、、、 意味が自我を補強するなら、内容は客観的に価値がない(概念的な言葉が多くて凄い笑)。これは個人を演じている人の言葉が言葉で居続けるなら一律で価値がない理由であり、知性ゆえの「音韻的な思考の檻」である。


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あとこれが350問ある。祈るような気持ちは報酬が無限大に先延ばしされた計画に宿るのかもしれない。 タスケテーーーー!!!


ソーシャルメディアの引退(改訂版)250704

ソーシャルメディア引退宣言

引退の定義

A. すべての個人アカウントの完全な停止

B. インタラクション(投稿、コメント、いいね等)の一切の個人利用の停止

C. 閲覧行為を含むすべての利用の停止

対象プラットフォーム

SNS

例外

使用可能

SNSの引退


補遺

archive.is消えた?悲しいね。orgもいつか消えるのだろう。

ということで以前に「SNS辞めるわ」という旨を大げさに書いたバカバカしい記事を改定して公開します。 前のはこれ、主題とはズレる内容が多かった上記では消した(とにかく辞めれたら何でもよかった)。

半年くらい経ったらしい。晴れてX tier1の「Xをしていない人」になった。私に勝てるX userはいないでしょう。

上には書いてあるけど動画プラットフォームは全然使ってて〜…。まあ、これも徐々にフェードアウトしていってる。 裏腹にうっかり作り直すとかは絶対に無いと確信できてるので心安らかです。

理由の再考

個人的な理由は「SNSを使う前提に立つことは生産性を損なう」のが根幹かな。n時間でn時間の作業できる人ならいいのだけど、私はそうじゃないため。 SNSを制限的に使うとしても、対策のために時間を使う価値があるのか?と自問してないので無いなった。

思想は「ネットサービスは消耗品である」ということ。 SNSはその意識が欠けているので居心地が悪い。所有でないものは消える前提で使い潰すべきだろう。添えるくらいの握力でなくなっていたら、それは幻想(無いもの有るとされ、有るもの無いとされる)です。 Xは辞めがたいものになっていたからこそ、辞める必要があったんですね。

こう理由を書くとどうも違うから今までのは嘘でいい。 そもそも理由はネットにはない。 多分、私が孤独を愛しすぎてるからだ。


闇の健康デッキ(2025-06-20)

デッキ方針

摂取を徹底的に避ける栄養素

この2つには摂取することのメリットがなく、デメリットだけで、体にとっては毒でしかない。 少しの利点、例えば砂糖のグルコースは体内で合成可能だったり、他で代替できる。

健康を始めるには、食事の娯楽と中毒を辞める必要がある。この時点でスーパーに売られてるものは9割食べれない。

避けた方がいいかも

そういう疑念があるとされている。

肉中心の食生活

週一で肉屋で肉を4~5kg購入し、七日に分けて摂取する。あとはタマゴとチーズ、それでも足りないので他はサプリで取る。

これが労働者の妥協的かつ最も健康的なデッキ方針。

現状のFAとして提出します。てか肉屋の肉はスーパーよりもおいしすぎる😋。

概要

極端なようで、料理する暇がなくて惣菜で済ましたり、外食する日があるより遥かに健康的で私の勝ち(?)。 健康とは食で如何に娯楽と中毒を排除できるかがスタートラインです。

サプリデッキ構築過程

プレ/プロバイオティクス

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まず、今のままでは肉によって腸内環境は偏り、大腸がんで即死する。 そのため腸内環境を整えるための食物繊維もしくはプレバイオティクスを摂る必要がある。

マルチビタミン

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次にビタミンが不足した時のためにマルチビタミンを追加 想像よりも色々入ってる。

オメガ3

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次に魚のメリットだけを摂取する。オメガ3と6のバランスが重要で、気にせずにいると1:20くらいになる。オメガ3は常に欠乏するので取り得。

タウリン

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簡単に言えば、万能バフ

natureでがんと白血病には相性良くないと出てたので注意。私だけかもしれないけど、あくびが完全にできなくなる。

検討してる/実験してる

寂しさや孤独感は存在せず、正体の一つはセロトニン欠乏である。ほとんどの人がこれを社交的満足によって解決すると思っているが、みそはセロトニンです(良い付き合いはセロトニンを合成させます)。人との触れ合い、太陽光を浴びる、単純作業をするなど一貫しない規則で合成され、これをしないと欠乏にあえぐことになる。このデバフは集中力をかなり削いでくるのでキツいし抗いがたい(だから執拗に人に癒やしを求めるし、散歩するし、没頭する)。対策した後、私はコントロールできない思考の誘導がばばーっと流れることは無くなった。人間は化学工場の側面があるので、形而上の概念で満ち欠けせず、魔女の釜の構成要素が自身の体調に直結する。ネット依存や自傷依存の中心にはセロトニン欠乏があるので、そういった依存にも効果があるかもしれません。特に一人暮らしの方が使うとQOLが爆上がりします。物質的な欠乏に喘いでいるからこそ、孤独感と言われるセロトニン欠乏には一定の共感性があるんですね。

まとめ

まとめると、肉は吸収がいいので肉を中心にして、それを補うようにサプリを飲む。試してみたが、食費も絞ると週5500~6000程度(肉屋+サプリの週割)で節約もいける。

マストなのは、

これで少なくとも、食物を記号的に信奉し砂糖と植物性油を摂取するデュエリストには一歩リードできる。 私は半年経過したデュエリストだが、ずっと前よりも調子が良いし健康診断も良好。死にそうになったらまた書きます笑。

健康だと何より気分が良い。大学生の憂鬱(生活習慣病)を記憶と疲労に紐づけてくねくねするやつもしなくてよくなる。 芥川龍之介にはタウリンが足りなかったのだ。


Emacsが優れている理由(250701)

テキストエディタではないから

テキストエディタの中でも優れているのはEmacs。

断言できるのには理由があって、相対的に優れているのではなく、Emacsは比較対象を包括できる存在だからです。

他のエディタは「エディタ+拡張機能」という構造で、拡張機能はエディタが提供するAPIを通じてのみ動作します。

Emacsは「Lispマシン+テキストライブラリ」です。テキスト編集機能も、メール機能も、ファイル管理機能も、すべて同じLisp環境で動作する等価なプログラムになります。 他のエディタができることは原理的にEmacsで実装可能だが、逆は成り立たない。(プログラミング言語でできないことを探すことと等価)

そもそもこれはelispというプログラミング言語の実行環境をテキストエディタという体で配布しているにすぎず、 プログラミング言語でテキストエディタが作られているのに、プログラミング言語とテキストエディタを比較するようなものだ。よってemacsが最強。

以上

ただ「lispに興味がある」の条件をクリアしないといけないのが一般的には厳しい。emacsはlispの人気に追従する。(ここに利点を感じないとEmacsを使う意味ない)

まずは凝り固まった思考を解きほぐすために拡張性の高いNeoVimに先に触れた方がいいと思う。デフォルトのショートカットキーなど表面的なテキストエディタから離れて、コアな比較ができる。

当然に思うテキストエディタの機能がelispで変更可能な状態で設定されているのを確認するとちょっと感動できます。

cosenseモード(仮)を作った

拡張性をアピールしたので、その実践としてcosenseモードを作ってみた。cosenseとは愛すべきhelpfeel社の提供するコラボレーション知識ベースサービスです。 彼らは私にドッグフーティング、つまり「配布は自分たちでシコるものにこそ価値がある」と教えてくれた神。

マークダウン言語は日本語キーボードみたいなもので、歴史的納得はあれど、機能的合理はない。なので基本はマークアップ言語を自前する必要がある。 その点、コセスのマークアップ言語は最低限で完成に近い。強調とインデントとリンク、私はこれだけでいい。

テキストエディタに独自マークアップ言語でハイパーリンクと行き来のショートカットが実装できると捗るのでオススメです。 インデント記法におけるハイパーリンクはz軸のインデントであるからして、

†マークダウン廃絶†


瞑想の本質を教える(250702)

瞑想マスターです。瞑想は頻繁にしていて、入口は目を瞑ってじっとしてる程度だった。 次にトランス状態の快楽に依存したり遊んでいたが、先日この行為について悟った(!)。瞑想の核心について書く。

基本

瞑想の本質は「時間性に対する意識の回避」である。 あらゆるものは時間性を纏う。時間性とは物理時間に留まらず論理時間の成立条件を指す。

注目すべき点は、これを満たすと論理的時間は存在し、物理時間は時間性の一側面にすぎないことだ。なので、動体は動いた分だけ’物理時間に関わらず’時間が経つことを意味するし、言語も文字列の依存関係は時間性の特徴を持つ。

ここまでが深い瞑想に行き着くための準備です。しかし深い瞑想はオナニーでしかないのでやる意味がない。サウナで整うのと同レベルです。重要なのは「時間性の排除」だ。

真の瞑想は時間性を持ち込まず、止め時がないのでそのまま餓死した場合は成功を意味する。まあ喧騒によって覚めるので常に失敗で終わります。

私という時計

時間性を排した先に残るのは、私の感じる時間のみ。単位を刻む標準的な時計を世界から消してしまって、時間性を測る概念を禁止したとしても、人間の意識には時が流れ続けます。生物は時間性に適応したから生存したわけで、これは抵抗できない暴力と避けがたい本能である。時間は意識において当然に存在するのではなく、解釈しないと存在しない。

瞑想は避けられない時の流れをピュアな状態で眺め続け、発展して時間性すら絶対視しない視座に向かう。 私という時計には刻むものがない。生の時間を楽しむ。これは標準時時計で切り刻まれた檻の中の現代では強烈なコントラストを含み、デトックス効果も期待できる。

時間性が排された瞑想状態で、時計がない世界は論理時間を進める根拠を失い、次第に時が静止していく。 外部の時計がなくなっても内的時間は流れ続けるが、さらにその内的時間すら論理的根拠を失って停止に向かう。そして瞑想を止めた後に世界の時間に規定された感覚から解き放されて、あなたの時計を強く自覚する。

私の時計で始めます

ということ

実践

最初は目を瞑るのもいい。けど条件は特に無い。認識的に時間性を排すればいつでもどこでもできる。目を開けていいし、動いてもいいし、したらだめなことはない。集中できるか否かが問題かな。

これだけ守ってたらできる。タイマーを忘れるでもいい。

Don’t panic